関西に旅行へ行って気づいた事(自分の内面)

2月2日(日)〜2月5日(水)に、京都・奈良・滋賀・大阪へ旅行へ行ってきました。

1日目は午後から京都市内へ入り、東寺へ。(写真は五重塔を見上げたところ)

2日目(3日・月)には、奈良県の桜井市三輪にある、大神(おおみわ)神社に行きました。
この神社のある「三輪山」を含めて、この地域は俗にいう「パワースポット」として有名だそうです。

大神神社の拝殿のある場所(写真の先へ続く階段を上った先)までたどり着いたとき、
私は肩から首を中心に、全身にかけて「ふわり」とした感覚を覚えました。同時に全身の力が一気に抜けて、ものすごくリラックスした感覚になり、気持ちがよかったです。

他にも、京都の梅小路蒸気機関車館で、蒸気機関車に乗って、大音量な汽笛にびっくりしたり、滋賀県ではJR湖西線で、雪景色の中を高速(130km/h)で走る新快速列車に乗って、爽快感を感じたり‥‥といった体験をしました。

これらの鉄道での体験は、身体に「ブルブルッ!!」と来るような、新鮮な感覚を味わいました。
特に雪景色の中を突っ走る列車なんて、地元の関東地方ではなかなか乗車できませんし。
(8日の土曜日に、関東地方でも豪雪があり、その日に実は都内へ出掛けていたので、実は地元でも似たような体験をできてしまったのですが‥‥)

このように体で体験したことが、地元に帰ってきてもずっと頭の中に残っていました。

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真夏に向けての振り返り

7月も下旬になりました。

先週の海の日を含んだ3連休、普段過ごしている関東から西日本方面へ旅行に行く機会がありました。

多少の疲れを抱えたまま、 出発、観光‥‥ 観光をしている最中、ひどく汗をかきました。
自然や歴史的な見所がたくさんある地域で、植物が非常に青々としていました。

いつの間にか、夏になっていました。(前回の記事でも同じようなことを言っていました。)

4月から3ヶ月が経過し、得る物はたくさんありましたが、灯台下暗しになっていました。
(足下をよく見ていなくて、詳しくは書きませんが、失敗も増えていました。)

旅先で「新しい生活が始まって数ヶ月、一旦、生活を振り返らなければ」と思いました。

振り返りは、仕事の中だけではなくて、生活の中でもやるべきことでした。

大学生時代、2年半は調子が良くて、その後の1年半は、あまり調子が良くなかった印象があります。これも、おそらく前を見ているだけで、足下を見ようとしていなかったからです。

まずは自分の足下を見て、そこからどこへ向かって歩くのか。地図があっても、現在地がわからなかったら目的地まで道順を考えられません。

自分のことだけに限らず、生活面以外においても、どんな立場でも、どんなことに対しても、振り返りは大切だと思います。

政治、エネルギー、世界情勢、ネット世界、などなど。ただ、自分の意見を出すだけではなく、過去と現状を見て、良い方向へ向かうには、どのようにしたらよいかと。ニュースなどを見ていると、他者を叩いたり、ただ意見を出すだけだったり、そんな様子しか見えてこないような気がしています。自分の視点が狭いだけでしょうか。

自分のことに関しては、対策を見つけて実行して、改善が出来たら、その例をブログで紹介できたらいいな…というところまで行きたいです。

旅行へ出かける前に、「振り返りが必要」と薄々感じていたのか、本を衝動買いしたり、旅行へ出かけた後も、すぐに本屋へ立ち寄って、更に本を数冊買ったりしました。

購入した本は下記へAmazonへのリンクとして紹介させていただきます。

他にも、数ヶ月前から何冊か買った本がありますが、今月に入ってから買った本を紹介します。

研修中は、自分から仕事の取り組み方について「気づかせる」ようなカリキュラムが組まれた講習を受けました。その後、職場に就いてからしばらく経ち、具体的なノウハウについて社外から得たいと思っていた中、書店で見つけて衝動買い。実業家としての経験談、成功例など、具体的な内容が書かれていて、生活面から仕事面まで、「真似をしたい」と強く思える例が書かれていました。旅行の前日、一気に読了しました。

4月からブログの更新が滞ったり、Twitterを今後どのように使っていこうか考えたりしているうちに、答えが出しにくくなっている中、ヒントになると思い、購入(ブログについては記事が思いつくようになりました。今も、このように書いています。)。現時点で読了できていません。

 趣味の内容と、職業柄、そして今日の生活を考えると、インターネットはおそらく一生使っていかなければならないなと思います。上記の本に引き続き、自分の「アウトプット」としてのヒントと、ネットの使い方、情報の調べ方を見直すために、良い本はないかと探していたら、これに出会いました。現時点で読了していません。

終業後、多少疲れた体でコンビニに立ち寄って、衝動買い。おととい買ったばかりで、読了していません。

これは、昨日の終業後、同じく衝動買い。仕事と家事をこなした後、好きなことに時間を割く時間を有意義に使えていないな…(妙なところで精神的に気を使ってしまって、それを上手に発散できていない)と現在の自分の状態を分析していて、どうすればよいかと策を練っていたところだったので。

本をたくさん読む余裕があるのは、今のうちかなとも思ってしまっていて、衝動買いが多いかもしれません…

iPadと一緒に持ち歩くもの

6月末に、私のiPadはアップル社純正の「iPad Case」に入れて使っていることと、iPadでの主な用途についてを紹介する記事を公開しました。

iPadは6月以降から、使用する頻度が徐々に高くなっています。

電子書籍やクラウドでの情報の収集・整理をするためのガジェットとしてiPadは話題になって、実際に私もその用途でiPadを使っていますが、今でも「ペンや紙を使うこと」も、大切にしています。

ここまでのことをまとめると…
今の私は、デジタル的な記録と、アナログ的な記録を併用することが多いのです。

そこで、iPadというデジタルガジェットを、アナログ的な道具(手帳・ノート・ペンなど)と一緒に収納できる方法を考えました。

なぜ、これらの「記録を作るための道具」を一緒に収納する必要があるのかというと…
前述の通り、まず、今ではデジタル的な記録とアナログ的な記録の両方を頼っていること。
そして、私はこれらを外へ持っていく際(外出のとき)、いつも同じバッグを使っているわけではないからです。外出の目的によって、バッグの中身を入れ替えて、外に出ます。なので、”中身を入れ替える”行為の手間を省きたい。
この2つが、iPadとアナログ的な道具を一緒に収納したいという目的でした。

この目的を実現するために、無印良品のお店で「ナイロンバッグインバッグ(B5サイズ)」というものを購入しました。私のナイロンバッグインバッグの中身は、上の写真のような感じになっています。

まずは、一番大きな収納部分には、iPad Caseに包んである「iPad」の本体。その横にはプログラミングや編集作業の記録を書くためのノート。内側のポケットには、iPadの画面を拭き取るためのクロス。外側のポケットには、手帳やペン。このような感じに、「記録を作るための道具」が入っています。

「記録を作るための道具」を、バッグに入れ替える時は…ナイロンバッグインバッグそのものを入れ替えるだけです。ペンもノートも、そしてiPadも、一気に入れ替えることができます。

家にいる時は、「記録を作るための道具」をまとめて取り出すことができるので、すぐに手元に「記録を作るための道具」を呼び出すことができます。机や居間、枕元などといった場所にです。

インターネット・Twitter/現実と五感 その2

「インターネット・Twitter/現実と五感 その1」の続きです。

前回の記事で、終盤に

それ以上に、他人とのコミュニケーションという”刺激”を追ってしまうことがあるような気がします。

ということを書きましたが、私は“刺激”を求めることを否定しません。

刺激を求めるようになる「きっかけ」というものがインターネット上にはたくさんあるからです。

Twitterで、リプライを通したやりとりから、色々なことに発展したり、とかでしょうか。

何のきっかけもないまま「刺激」が生まれることは、まず無いです。

発展をすれば、次の発展を求めようとするのは当たり前です。

その前に、刺激という言葉でひとくくりにしてしまうと、あまり良いイメージがないような気がします…

「刺激」を「Twitterやインターネットでは行えないコミュニケーション」 という風に、ここでは置き換えます。

「Twitterやインターネットでは行えないコミュニケーション」をしたい!
Twitterに自分の内面をもっと書いて、皆に分かってもらおう!

上記の行為は、非常に危険です。これを現実に例えれば…
公共の場所、例えば街中で自分の名刺を知らない人に大量配布したりすることは、ないですよね。

でも、更なる刺激を求めやすいのが「インターネット」の特性でもある気がします。インターネットでは様々な情報を共有することができます。写真や映像、音声など。そこから刺激が生まれます。

だからといって、インターネットで何でも共有できるかと言えば、そうではないです。共有できないことの方が多いです。

そこで、Twitterを含むSNSで、インターネットではどうしてもできないコミュニケーションを行う場合には…
「オフ会」というものが行われています。これが1つのインターネットではどうしてもできないコミュニケーションを行う例でしょうか。

(ここからは、私の感想的な文章になります)

私は今まで、何度かオフ会に参加させて頂きました。

オフ会では、インターネットでは知ることのできなかった個々の感情、知識、その他色々、数えきれないくらいのものを共有することができます。数えきれないというか、数で表せないくらいのことを共有できます。

普段は画面越しに情報を共有している方々が、目の前にいるのです。同じ場・同じ空気を共有しているのです。

インターネットでも、文字以外にも画像や映像、音声などを共有することができますが…それらは現実の世界にはかないません。

五感を使って、同じ場を共有できるのです。
(場合によっては第六感も?)

逆に言えば、インターネットでは一度デジタルなデータに変換されてしまったものしか共有できません。
そして、やはりインターネット上に何でも共有できるわけではありません。

「インターネットを通して」感じることよりも、「五感を使って」感じることの方が人間は多いのです。

携帯電話の画面やパソコンの画面を「1つの家」と例えてみると…
その「家」の周りには、なにがあるでしょう。
画面の面積よりも、実際に自分たちが生きている、この世界の方が比較にならない程に広いです。

五感を使って、インターネットでは共有できないものを共有しつつ…
なにかのきっかけが生まれたら、そこで、インターネットでは教えられないことを教えて…
「インターネット・Twitterによる繋がり」ではなくて「現実での繋がり」を持つことも、現実では可能です。私は何度か経験しました。

Twitterでは、リプライの返答を返すことができなかったり、頂けなかったりすることもあり、不安になることがあります。
それとは反対に、現実で相手が目の前にいれば、それだけで安心感がうまれます。

インターネットの進化によって、インターネットと現実との区別が無くなる時がくるかもしれません。

しかし現状では、両方には明らかな違いがあります。

最終的に、言いたいことは──

現実や五感(場合によっては第六感?)に意識を向けることを、忘れないようにしたいです。

まず、画面を注視していると、眼精疲労から始まって、体がボロボロになっちゃいますから。