今回は、Twitterから感じたことを書いています。Twitter内での専門用語を多く使っています。記事が長くなってしまうので、それらの詳しい説明は省かせて頂きました。ご容赦ください。
ブログの更新頻度が(以下略
気にしないようにします。( ゚д゚)ハッ!と思ったときに綴るだけにしようかなと。
書きたいことはたくさんあるのでが、それらを溜めっぱなしにしていると、いつまでたってもきちんとした文章にならないのです。 なので、あまり気にしないことにしました。
さて、本題ですが──
私は、Twitterのアカウントを2008年の11月に取得しました。
アカウントを取得した頃はTwitterの使い方が全く分かりませんでした。
※その頃から「TwitterはiPhoneからだと使いやすい」ということを耳にすることがありました。
そして翌年の6月。携帯電話を「iPhone 3GS」に機種変更しました。
同時期に、イランで起こった大統領選挙騒動で、Twitterが連絡手段として使われているということを知りました。「TwitterはiPhoneからだと使いやすい」ということも思い出し、2008年に作成したアカウントで、Twitterを使うようになりました。
待ちに待ったiPhoneの入手を実現して、次の刺激を求めるような感じでのTwitterとの再会でした。
最初は、私が「共感できる」と思うツイートを多くされている方や、気になる有名人の方をフォローしていきました。
私も、その時に思ったことや、興味のあるIT関連のこと、今いる場所や写真などをマイペースでツイートしていきました。
すると、自然に私をフォローしてくださる方や、私のフォローを返してくださる方(相互フォロー)ができました。
Twitterを始めてから半年くらいの間は、@のつかない(他のユーザーへの言及がない)ツイートが多く、皆が主体的なツイートを多くしているという印象がありました。
その主体的なツイートを見て気になることがあったり、何かメッセージを送りたいと思ったたりしたときに、@のある他のユーザーへ言及するためのツイート(リプライ・非公式リツイート)が使われていた印象があります。
皆のツイートを読むだけ、そして私がツイートを繰り返すだけ。ときどきリプライ(他の人に言及)。それでも、当時は満足感がありました。何ででしょうか。「私のツイートは、フォロワーの方には読んで頂ける状態にある」という気持ちがあったからでしょうか。今も、その気持ちはあります。
日本語版のTwitterで、公式にリツイートという機能がついたのは、2010年に入ってからです。
Twitterは、イランの騒動(2009年6月)以降、世間から注目を浴び続けている印象があります。
テレビや新聞で「Twitter」という言葉を耳にしない・目にしない日はなくなりました。
Twitterは様々な目的で使われるようになりました。
企業が宣伝を行ったり、個人がブログの更新通知を行ったり(私も時々やるけど)…
アカウント数が増えたことによって、「Twitterの利用目的」が増えたと言ってもいいのではないかと思います。
私がTwitterを始めて間もない頃からフォローをさせて頂いている方の「今現在のフォロー数/フォロワー数」は、その時よりも、少なくても1桁は違います。
私も当初は数十人。今では600人強。最近は、飽和状態にあります。それでも少しずつ増えています。
私のフォロー数/フォロワー数が増えたことによって、私が閲覧するツイート、そして、私宛の@付き言及ツイート(リプライ・非公式リツイート)が多くなりました。
私に対する言及が、私にとってはあまり気分のいいものではなかったり。
フォロワーさんのツイートが「こんなことを“公”の場で言っても良いのかな?」と思えるようなものだったり。
このようなことが増えました。
自分も、そのようなことをしてしまっているかもしれません。
Twitterは、「非公開」の設定にしていないアカウントのツイートならば、Twitterのアカウントを持っていなくても閲覧することができます。
ツイートはTwitter内に投稿する行為ですが、そのツイートはTwitterの外にも発信されます。 (TwitterのIDをワードにしてGoogleで検索をするとよくわかります)
TwitterにはSNSという特質があるので、そこで他人とのコミュニケーションを取るという機会ができるのは必然的ですが…
それ以上に、他人とのコミュニケーションという”刺激”を追ってしまうことがあるような気がします。そこから、トラブルや不快なことに繋がっていったり…
そして、少し前に流行った「Twitter疲れ」ということも出てきてしまうのだと思います。
私は、インターネットは全世界中の「公園」みないなものだと解釈しています。
公園というものは、公共で使う場所です。マナーがあります。
インターネット自体、様々な目的に使われるようになりました。
様々な目的が生まれても、インターネットは世界中で使えます。基本的には、利用者からは情報が丸見え。やはり「公園」と同じような「公共の場」だと思います。
Twitterもインターネットの一部分で、前述の通り「様々な目的」が個々のユーザーにはあります。
それを見失うと、途方に暮れてしまいそうな気がします…
つい先日まで、自分がその状態になっていました。
この「その1」では、インターネット内・Twitter内に限ったことを書きました。
次の「その2」では、インターネットやTwitterから外に出たことを書きます。