「インターネット・Twitter/現実と五感 その1」の続きです。
前回の記事で、終盤に
それ以上に、他人とのコミュニケーションという”刺激”を追ってしまうことがあるような気がします。
ということを書きましたが、私は“刺激”を求めることを否定しません。
刺激を求めるようになる「きっかけ」というものがインターネット上にはたくさんあるからです。
Twitterで、リプライを通したやりとりから、色々なことに発展したり、とかでしょうか。
何のきっかけもないまま「刺激」が生まれることは、まず無いです。
発展をすれば、次の発展を求めようとするのは当たり前です。
その前に、刺激という言葉でひとくくりにしてしまうと、あまり良いイメージがないような気がします…
「刺激」を「Twitterやインターネットでは行えないコミュニケーション」 という風に、ここでは置き換えます。
「Twitterやインターネットでは行えないコミュニケーション」をしたい!
Twitterに自分の内面をもっと書いて、皆に分かってもらおう!
上記の行為は、非常に危険です。これを現実に例えれば…
公共の場所、例えば街中で自分の名刺を知らない人に大量配布したりすることは、ないですよね。
でも、更なる刺激を求めやすいのが「インターネット」の特性でもある気がします。インターネットでは様々な情報を共有することができます。写真や映像、音声など。そこから刺激が生まれます。
だからといって、インターネットで何でも共有できるかと言えば、そうではないです。共有できないことの方が多いです。
そこで、Twitterを含むSNSで、インターネットではどうしてもできないコミュニケーションを行う場合には…
「オフ会」というものが行われています。これが1つのインターネットではどうしてもできないコミュニケーションを行う例でしょうか。
(ここからは、私の感想的な文章になります)
私は今まで、何度かオフ会に参加させて頂きました。
オフ会では、インターネットでは知ることのできなかった個々の感情、知識、その他色々、数えきれないくらいのものを共有することができます。数えきれないというか、数で表せないくらいのことを共有できます。
普段は画面越しに情報を共有している方々が、目の前にいるのです。同じ場・同じ空気を共有しているのです。
インターネットでも、文字以外にも画像や映像、音声などを共有することができますが…それらは現実の世界にはかないません。
五感を使って、同じ場を共有できるのです。
(場合によっては第六感も?)
逆に言えば、インターネットでは一度デジタルなデータに変換されてしまったものしか共有できません。
そして、やはりインターネット上に何でも共有できるわけではありません。
「インターネットを通して」感じることよりも、「五感を使って」感じることの方が人間は多いのです。
携帯電話の画面やパソコンの画面を「1つの家」と例えてみると…
その「家」の周りには、なにがあるでしょう。
画面の面積よりも、実際に自分たちが生きている、この世界の方が比較にならない程に広いです。
五感を使って、インターネットでは共有できないものを共有しつつ…
なにかのきっかけが生まれたら、そこで、インターネットでは教えられないことを教えて…
「インターネット・Twitterによる繋がり」ではなくて「現実での繋がり」を持つことも、現実では可能です。私は何度か経験しました。
Twitterでは、リプライの返答を返すことができなかったり、頂けなかったりすることもあり、不安になることがあります。
それとは反対に、現実で相手が目の前にいれば、それだけで安心感がうまれます。
インターネットの進化によって、インターネットと現実との区別が無くなる時がくるかもしれません。
しかし現状では、両方には明らかな違いがあります。
最終的に、言いたいことは──
現実や五感(場合によっては第六感?)に意識を向けることを、忘れないようにしたいです。
まず、画面を注視していると、眼精疲労から始まって、体がボロボロになっちゃいますから。